神社に残された棟札は、その創建はもとより、修改築が行われた場合の記録にもなっている。
創建は、神社の魂となる神を勧請する。すなわち、神社に神様をお呼びして、地域の氏神なら地域の守り神とした。
例えば、新しく開いた土地には子(ね)神社が多い。収穫の神である大黒天を祭っている。また、村に火災があると秋葉権現や愛宕権現を勧請する。前近代は目の感染症トラコーマがはやったため、薬師如来を勧請した神社も多い。如来は本来、寺院で拝まれるものであるが、室町時代から広がった、神は仏の仮の姿、という本地垂迹(ほんじすいじゃく)説によって、神社に祭られることが多い。薬師如来を本尊としている寺院も数多い。
また、疫病退散のためのまじないを書いて神社に奉納した。疫病よけの神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭る祇園神社(山王神社)、あるいは牛頭天王を祭る津島神社を勧請し、多くは夏前に水ごりをして疫病よけを願った。
トラコーマのほかに恐れられていた病気が天然痘(疱瘡(ほうそう))である。天然痘がはやると神社に疱瘡神を勧請して退散を祈った。
筆者は伊豆を中心に古文書史料の分析を行っていると同時に、古文書にない情報が得られる神社に残る棟札調査も行っている。すでに市町で調査報告書を出版しているところもあるが、筆者の関わった伊豆の国市・伊豆市の棟札情報から天然痘の様子を垣間見ることにする。
両市の氏神といわれる地域ごとの神社を、全域ではないが調査した。管見で一番古いものは、伊豆の国市吉田の吉田神社に残るもので「奉新建立疱瘡神宮一宇」とあり、寛保元(一七四一)年五月二十日の勧請だ。「新建立」とあるので初めての勧請となる。吉田神社は氏神としては「子神社」であるが、ここに新たな疱瘡神を招き入れたのである。
伊豆の国市大仁にある大仁神社には延享三(一七四六)年の棟札がある。吉田と大仁は隣村なので、寛保元年から延享三年にかけて、当地域に感染が拡大したようだ。
伊豆市雲金の雲金神社には宝暦十一(一七六一)年二月に「奉読誦妙経全部氏子疱瘡安穏成就」と記されている。すべての氏子が天然痘から回避するよう祈ったことがうかがえる。伊豆市湯ケ島に寛政四(一七九二)年、伊豆の国市寺家に寛政九年四月、伊豆の国市守木に享和二(一八〇二)年の棟札があり、この頃も大きな流行があったと見られる。
江戸時代末期の韮山代官江川英龍は蘭方医(らんぽうい)の伊東玄朴を招聘(しょうへい)し、自分の子どもたちに種痘を施してその効果を確かめ、支配地内の子どもに接種した、と言われている。種痘のおかげで、天然痘は世界保健機関(WHO)が宣言した、唯一世界から撲滅した感染症、となっている。 (橋本敬之・伊豆学研究会理事長)
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