数々の名曲を作曲し世に送り出した作曲家筒美京平さんが80歳で亡くなり、芸能界にも悲しみが広がった。近藤真彦(56)はじめ、筒美さんが手掛けてきた楽曲を歌ってきた多くの歌手や関係者が、訃報を受けてコメントを発表した。

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音楽評論家富沢一誠氏(69)は、筒美さんに何度か電話インタビューをした経験を持つ。「初めての時でもキチンと対応をしてくれました。相手は大御所なのに威圧感はまったくなく、当たりもすごく柔らかでした」と振り返った。

そして、筒美さんが音楽史に残した足跡については「ひと言でいえば『史上最強の作曲家』でした」と断言した。「売り上げ枚数ではオリコンのランキングで1位を獲得した曲が39曲もある。プラスして、グループサウンズ(GS)から歌謡曲、アイドル、ニューミュージックからアニメまで、とにかく作曲の幅が広い人でした」。

筒美さんが登場するまでは古賀政男さん、服部良一さん、船村徹さんらの日本調の歌謡曲が流行。その後ビートルズが現れ、洋楽に負けない日本のポップスを求めてGSが出てきた。「このタイミングで日本でも若手が台頭し、その筆頭が筒美さん。『ブルー・ライト・ヨコハマ』や『また逢う日まで』を手がけ、その後も『ロマンス』や『スニーカーぶる~す』など、本当によい曲をたくさん作っています」。

「70年代に出てきたシンガー・ソングライターの吉田拓郎、井上陽水らは『歌謡曲はダサイ』と言って、自身で曲作りをしたわけですが筒美さんの曲だけは別。カバーをして歌っています」。すご腕のアーティストさえ黙らせてしまうような、真の実力を備えた作曲家の死を悼んだ。